いつの間にか閉店していた店を見て、人生に似ていると思ったこと

私の散歩道にあった店がいつの間にか閉店していました。

その店に入ったことはありません。あまり客が入らなかったのかもしれません。

店の中はがらんどうで、奥まで見渡せるようになり、このような形だったのかと初めて知りました。

自分には関係ないのですが、それでも知っていた店が無くなったのはなんだか寂しい気持ちがしました。

少なくとも六年は開いていたはずです。

この六年間というのは長いのか短いのか、人によって考え方は異なると思うのですが。

いつの間にか閉店していた店を見て、人生に似ていると思ったこと

例えば私が勤めている会社は後何年間存在するのだろうかと考えてみます。果たして100年後に存在しているのでしょうか。

また、私の通った小学校は何年間存在するのだろうかと考えてみます。少子化で近い将来的合併して無くならないでしょうか。

また、私を中心とした家族の形(両親、私たち夫婦、子どもたち)は何年間存在するのだろうかと考えてみます。ちょっと怖い。

学生時代にアルバイトをしていた店は私が辞めてから数年後に潰れていました。照明が取り外され暗くなった店を見たときは不思議な気分でした。

今私がこうして見ている世界もあっという間に変わっていきます。

私の職場も二十年後にはあのとき誰がいてどのように悩んでいたのかなんて話題にも上らないでしょう。建物はそのままでも中身の人間はがらりと入れ替わってます。

私がどのように生きていたかなんて100年後には誰も考えないでしょう。

そんなものなのでしょう。

散歩道にあった店が閉店している姿を見て、まるで人生のようだと一人感傷的になった一日でした。

▼私が亡くなるよりも前、けっこう近い将来に食糧危機がやって来るようです。

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