幸せの価値をお金の量だけで考えてしまうとキリが無いので考え方を変えてみる

初めて高校の同窓会に行きました。卒業してから20年以上経過しており、弁護士になった人もいれば誰もが知るような大企業に勤めている人もいました。

ところで大企業に勤めている彼らの給料は私の1.5倍から2倍はあります。

私は会社ごとの平均給料ランキングなどを見る度に、自分の会社と比較していいなあと羨ましく思ってました。

それだけの額を貰っていれば、自分だってすぐにローン組んでマンションを購入するのにとか、レストランでは値段を気にせず自分が本当に食べたいものを注文するのになあと羨みました。

お金さえあれば幸せなのか

ところが、同窓会で話をしていると、給料が高いからといって全員が幸せそうではないことに少しずつ気付き始めました。

俺さ、離婚しちゃってさ、仕事がつまらなくてさ、毎日ものすごい残業量でテレビなんて見る暇ないよ、とか、「みんな楽しんでないのかー!」と叫びたいぐらい、覇気がないのです。

給料低いし同期で私だけ平社員で将来不安だけど、何だか私の方が幸せだなあと思いました。

私は今の部署では残業も大幅に減らしたため時間に余裕ができ、電車の中では本を読み(以前は疲れて読めなかった)、家では食器を洗いながら音楽を聞き(キッチンが狭くて食洗機が入れられませんでした(泣))、子どもと風呂に入って会話をし、土日は録りためたテレビを見たりゲームをしたりしています。

なかなか楽しく過ごしています。

かつての夢は現時点では全く不可能、いや今後も不可能

以前は40歳ぐらいで都内にマンションを購入し、部屋には60インチの大型テレビを置き、家族が皆で座れるゆったりしたソファがあり、食洗機が置けるスペースがあり、週に1回は美味しいレストランで外食し、といった夢を描いたこともありましたが、現実を見るとやはり給料が今の二倍はないと達成は難しそうです。

家族が皆で座れるソファを置くと部屋の奥まで辿り着くのが困難になり、60インチのテレビを置くとあまりにも画面が近すぎて酔うのが目に見えています。

お金があろうが無かろうが最後はみんな亡くなる

さて、そんなことを思った同窓会でしたが、クラスメートの中には残念なことに亡

 

くなった人もいました。

もちろんその場に集まったクラスメートは私も含めて最後は全員亡くなります。

いつかはハダカデバネズミやクマムシやダイオウグソクムシのような驚異的な遺伝情報をヒトも手に入れる日が来るのかも知れませんが、とりあえず現時点では全員亡くなることが決定しています。

「私は5億円も財産があるのだ」と自慢げに言っていても、「若いうちから風邪一つひいたことがない」と自慢げに言っていても、やはり最後は亡くなるのです。

そう考えると、自分の人生で何が一番大切なのか改めて考えてしまいました。

お金なのか、家族なのか、自由な時間なのか…。

自分が亡くなるときを想像してみると、あくまで私の場合ですが、お金が少なくても家族と楽しく過ごし、出来れば家族に見守られながら死にたいです。

もちろん、お金をたくさん持ち、家族と楽しく過ごし、家族に見守られながら死ぬことも出来ます。

あくまでもここではお金がポイントではなく、家族と、というところがポイントなのです。

家族とどう過ごすと楽しいのか、いや、極論を言えば、どう過ごすと自分の人生は楽しいのか、お金以外の視点で考えることが大切なのではないかということです。

お金がたくさんあることを前提に幸せを考えてしまうとキリが無く、またそもそも余裕があるほどお金がある人はそれ程いません。

まずは現在の生活レベルのまま、どのようにすれば幸せ度を高められるのかを考えてみてはいかかでしょうか。

 

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